クリスティーヌとコヒーレンス法

息子へのいらいらをコヒーレンス法で乗りこえたクリスティーヌの事例

内的コヒーレンス状態になる方法を学んだクリスティーヌという女性も、離婚期間中、五歳の息子トマとともに、同じような状況を体験していた。

ある土曜の朝、彼女は息子に、動物園に連れて行ってあげようと言った。しかし息子は自分の靴を探そうとしない。時間に追われた彼女の頭のなかに、こう囁く親友の声が聞こえてきた。「今、あんたの息子のめちゃくちゃをやめさせなければ、状況は悪化するばかりよ。そのまま大人になっていくのを指をくわえて見てちゃダメ!」

クリスティーヌは、息子がいつもいつも片付けをしないことを冷たくなじり始めた。トマはいつも、叱られてからでないと片付けないからだ。ところが彼は、地面に座り込み、腕を組み、まるで、殴られたうえにうまく理解してもらえない子供が、神経性の発作を起こしかけているようなしぐさをし出した。クリスティーヌはもう我慢できなかった。

夫の問題で自分自身の心も張りつめていたクリスティーヌは、トマの感情操作に負けてもう一度「言うなりになることがない」ように、彼を置いてひとりででかけることにした。

しかし、車に乗り込んだ彼女は、自分の内側の状態に目を向け始めた。自分はどれほど怒っていて、心が張りつめているか。今や一日を、さらには週末も、このような惨ざんたるスタートによって台無しにしようとしている。

彼女は、コヒーレンス法を実践し始めた。

コヒーレンス法の実践

そして自分の内側に静けさが訪れたとき、別の見方が生まれた。今朝のトマのぐずぐずして混乱した態度は、いつもの片付けの問題ではなくて、両親の離婚に対する彼の心の動揺の表現ではないのか?彼女は、一瞬、自分の恐怖心や悲しみをことばに出すことができずに途方にくれている五歳の少女のように、息子の立場になって想像してみた。

このような状況に置かれ、母親が自分の気持ちを理解してくれず、しかも靴がきちんとした場所にしまわれていないといった些細なことで叱られてばかりいたら、どう反応するだろう…。彼女はどのようなお手本を息子に示すべきだろうか?彼女がたった今実践したように、息子にも、心の扉を叩くことで、感情の高まりをコントロールできるようになってほしいと思っていたのではないだろうか?

突然、彼女は、敢えて“面子を失ってでも”トマと話をするために家に帰らなければならないと思い立った。

クリスティーヌと息子

そして家に戻って息子にこう言った。「かっとなってゴメンね。本当は動物園なんてどうでもいいのよ。大事なのはね、トマが少し悲しんでるってこと。そしてあなたとパパとママの今の状態ではそれは当然だってこと。悲しいときは誰でも、なかなか片付けなんかできないわよね。ママも同じぐらい悲しいの。だからこんなにすぐ怒っちゃうのよね。でも、あなたもママもそれがわかれば、もっとうまくやっていけるわよね、きっと…」

トマは母親を見上げて、泣きじゃくった。クリスティーヌはトマをぎゅっと抱きしめた。しばらくするとトマはまた微笑んで、二人はいっしょに素敵な一日を過ごした。トマはこれまでにないぐらい、てきぱきして、注意深く行動した。いったんコヒーレンシーから愛情エネルギーが放出されれば、多くの場合、別れる代わりに、いっしょにいるためのことばと解決策を見つけることができるのだ。そして、それが、エネルギーの無駄な消耗をどれぐらい抑えてくれることか。